中国宮記

純ジャパ。中国語の宮殿に囚われて9年目。中国語(ネイティブチェック済み)の日記と日本語訳載せてます。語学勉強にぜひ。

友達

 わたしは普段Facebookやインスタグラムを見ない。こういったソーシャルメディアは確かに面白いけれど、時々自分で思っている人間関係と実際の人間関係のズレに気づいてしまうことがある。例えば、わたしには一人友達がいて、わたしとその友達には一人後輩がいた。わたしたちは以前一緒にハルピンへ旅行しに行った事があった。以前のわたしも気づいていたが、後輩はわたしの友達をもっと尊敬していた。わたしの友達は頭が良く、いい大学を卒業し、記者として新聞会社に就職したからだ。ただわたしたちの前では後輩の態度はそんなに違いはなかった。それはわたしが中国語を喋れて、中国へ旅行するならわたしと一緒に旅行するほうが便利だったからだ。ただFacebookではその友達と後輩はもっと親しく、時々二人で会って遊んでいるようだ。もちろんわたしが干渉する権利何てものはない、でも知りたくはなかった。だからわたしはソーシャルメディア上の情報を見たくない。

 

 現実の生活においてもこのようなことが起こったりする。私は大学生の時アルバイトをしていて、卒業前に友達と一緒にそのバイトを辞めた。わたしの友達は大手の自動車メーカーに就職した。愛知県は特殊な土地だ。ここには世界的に有名なトヨタの拠点があり、それにより供給するためのトヨタ系の自動車部品メーカーが多数ある。エリート層の仕事ではない限り、工場においての大多数の仕事では学歴はあまり重視されない。ただたとえ普通の仕事であってもトヨタ系の仕事に就くということは生活に困ることなく、安定した生活を送れるということであり、周囲の人間から憧れと嫉妬の眼差しを向けられるということである。パートの方から彼は褒められ、後輩の一人はプレゼントを贈っていたが、わたしにはプレゼントもなく、何にも言われることはなかった。その時わたしはこう思った、どうしてそのことをわたしに見せてくるのだろうと。プレゼントなんかどうでもいい、他の人がわたしを認めなくてもいい、ただその時はまるで離れ小島に来たようになった。わたしの気持ちはもう昔のようには戻れないのだ。ほんとに傷ついたな。

 

 最近母親と一緒に話していて、話題がSNSについて担った時、わたしは前に起こったこのことについて話した。母はわたしに聞いた。

「そんなことがあって、傷つかなかったの?」

「もちろん傷つくよ!だからも5年もそのこと誰にも話さなかったじゃん」

「でももしそんなことがあったらすごいショック受けて精神的に病むよ!」

「え?…そうなの?」

「さすがの鈍感力、すごいわ」

 それを聞くとわたしは怒った。はは、冗談だけどね。

 だって彼らは別に本当の友達じゃないでしょ。もしも他にも友達がいなければたぶんショックももっと大きかったと思う。だけど今わたしにはいい友達がいる。彼らは礼儀正しく、ユーモアたっぷりで、広い視野を持っている。彼らがいるから、他の人の行動や価値観なんてものはわたしには大きな影響を及ぼさないのだ。

 

朋友(中文版)

朋友

 

  我平时不怎么看FacebookInstagram。虽然这种社交软件确实很有趣,但是有时候我发现我以为的人际关系和实际的人际关系是差距的。比方说,有一个朋友,我跟她有一个后辈。我们三个人以前一起去过哈尔滨旅游。以前我也知道,后辈更尊敬我的朋友,因为我的朋友很聪明,从很好的大学毕业,而且作为记者在报社就职。但是在我们面前后辈的态度并没有太大的区别,因为我会说中文,在中国旅游的话,我跟她们一起去比较方便。不过在Facebook上朋友与后辈的关系很密切,好像有时候她们俩会一起去玩。她们一起出去玩是她们的自由吧,我无权干涉,但是我也并不想知道,所以我有点抵触看社交平台上的信息。

  现实生活中的人际交往也发生过类似的事情。我在大学读书时打过工,毕业之前我跟朋友一起辞掉兼职。我朋友就业于很好的汽车零部件的公司。爱知县一个有特点的地方。这里有闻名世界的丰田产业基地,同时也有各种各样服务汽车工业的丰田系零部件工厂。除了管理层的工作,工厂的大多数其他工作对学历要求不高。但即使是普通的工作,就职于丰田系的工作,就职于丰田系的工厂也代表不必担心温饱的生活和周围的人羡慕或嫉妒的目光。中年的同事对他赞誉有加,一个后辈给他礼物,对我却置之不理。那时候我就在想,为什么一定要让我知道这些事情。即使不在意礼物,也不在意其他对我的认可,但当时感觉到差别岛屿的时候,我的心态就再也恢复不到从前了。我切切实实地受到了伤害。

  最近跟母亲一起聊天的时候,我们的话题也变成了互联网,然后我说了以前发现的这些事情。然后母亲问我,

“发生这样的事情,心里没有很受伤吗?”

“当然受伤!所以这五年间,我没有告诉过任何人这些事”

“不过有些人如果遭遇了这样的事情,受了很大的打击,精神可能会发生问题!”

“啊……?这样吗?“

“果然是因为你的很迟钝啊,好厉害“

 我听到了后生气了。哈哈,开玩笑啊。

是因为他们不是真正的朋友吧。如果我没有其他朋友,可能会受更大的打击。但是现在我有很好的朋友们,他们既礼貌、又幽默、也拥有了开阔的视野。因为有他们的存在,所以其他人的行为与价值观并不会对我产生太大的影响。

ほむほむと鳥肌

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鳥肌が

 読書日記 穂村弘著「鳥肌が」

     卒論提出前、精神の治安が悪い時期にキンドル還元セールで買った本。ほむほむのふわふわした文章に癒された。短くて、とにかく終わりが鮮やかで過不足がないのがすごい。半分ぐらい読んで気づいた、ほむほむってあんまり家族のこと書かないんだよな。あるんだけど、友達とかとそんなに変わらないような距離感、熱加減で書かれてて、だから読んでてしんどくないんだよなあ。作家の自分の子供の話とか時々チクリと刺されるようなわたしにとってはうれしい。

 人によっては「親」だとか「兄弟」とか「恋人」とか「子ども」とか、触れられたくないトピックがある訳で。だからといってエッセイストやママタレントとかに配慮を求めるとかそういうのは行きすぎだとも思う。だって彼らはそれが商売なのだから。

 でも時々、わたしに対しての態度はものすごく適当なのに、SNSでは自分の子どもには物凄い真剣ななんてところを見ると怖いのだ。わたしは他人なのだから当たり前だとしても、これだけは言いたい。それでもやっぱり怖いもんは怖い。血がつながっているだけで、人に無関心な人がこんなにも変われるんだ。

 この話は鳥肌が立つような、自分だけ感じるような怖さについて書かれている。一番インパクトが強かったのは「母」なるもの、というタイトルの話だ。これには母性愛特有の行きすぎた、というか斜め上の愛について書かれている。自分が怖がってたもんはこれだったんだ。

 エッセイに刺されて、えぐられることもあれば、ほむほむの文章みたいに、寄り添ってくれるエッセイもある。だから、読むのはやめられないっ。

業界怪談①

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出典 NHK業界怪談 https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=25195


 2月12日

業界怪談①《日本語版》

 今日中国では春節だ。わたしの中国版LINE・微信(ウェイシン)も新年の祝賀ムードに溢れていた。

 わたしは今日本にいて、日本人の今の関心事は”バレンタインデー”についてだ。日本のテレビ局の天気予報が言うには、

「今年の2月14日、バレンタインデー当日は気温が上昇し、15℃を超える見込みです。もし15℃を超えた場合、チョコレートは溶けてしまうので、今年の”ホットバレンタイン”にはご注意ください!」

 これを聞いた後、わたしはテレビを切った。わたしには全く関係のない事だったからだ。

 わたしは冷静になるべく、”業界怪談”なる番組を見ることにした。この番組は各業界で実際に起こった不可思議な出来事を紹介している。今回紹介した業界は遺品整理(亡くなった人の物を整理する仕事の人のこと)、建築業、登山家や山小屋(山の中の宿)など登山に関わる業界だった。

 その中で登山の話はとても面白かった。ある日、一人の登山家が山を下山していた。しかし、その登山家はとても眠たく、疲れており、下山途中ではほとんど意識が飛んでいる状態だった。その時、登山家の前に突然一人の女の人が現れた。登山家は重いまぶたを見開いて、目の前の人の様子を見た。彼女は上に白の、下に赤い袴を着、それは巫女のような格好だった。巫女は登山家を見るとゆっくりと彼に近づいていった。巫女の肩が登山家の肩に当たった時、登山家の眼が冴え、振りかえって巫女を見た。巫女は何の表情もない顔で彼を一瞥すると、突然姿を消した。その後登山家は下山できた。

 登山家はこの話を回想しながらこう言った。

「この話を聞いた人の中には、”それはきっとその巫女がお前を助けようと思ったから現れたんだよ!”っていうふうに言う人もいるけどね、わたしはそれは違うんじゃないかなと思っているんです。なぜならあの山の難易度は高いほうで、死んだクライマーもたくさんいる。その上、わたしは神が人間に友好的な存在だなんてとても思えないね。だから、彼女が出てきた本当の意味はわたしも実のところよくわかんないんだよね」

 日本の怪談にははっきりとした理由があるとは限らないと思う。ある怪談は不思議から始まって、不思議なまま終わってしまうものもある。しかしわたしはこういった想像できる余地がある物語は正に日本の怪談の醍醐味なのであると考えている。

 

注意:NHKの業界怪談を元に書きましたが、一部加筆した内容が含まれます。

 

 业界怪谈①《中文版》

 2月12号

  今天是春节,所以我的微信上洋溢着庆祝新春佳节的气氛。

  我现在身处日本,而日本人更关心的节目是“情人节”。日本的电视里的天气预报这样报道:”今年的2月14日,就是情人节的日本,那天温度升高,可能超过15°。如果超过15度°的话,巧克力会溶化,所以请大家小心今年的‘热腾腾的情人节’!”。听到这句话后,我关上了电视,因为跟我完全没有关系的事情,因为这是跟我完全没有关系。

  我想冷静一点,所以我决定看一档叫“业界怪谈”。这台节目里有各种各样的业界里真理发生的不可思议的事情。这次介绍的业界是遗品整理(是指整理逝者的东西的人)、建筑业、登山运动员及山小屋(是指在山上的旅馆)等与登山有相关的业界。

  其中,登山的故事很有意思。有一天,一个登山运动员下山。不过,这个登山运动员又困又累,处于几乎昏迷的状态。这时在登山运动员的面前,突然出现了一个女人。登山运动员睁开沉重的双眼看了一下面前人的样子。她穿着上衣是白色,裤子是红色的和服,一副巫女的打扮。巫女盯着看登山运动员,好像缓缓地走向他。巫女的肩膀碰到登山运动员的肩膀擦肩而过的时候,登山运动员才清醒过来,转身而看向巫女。巫女脸上没有任何表情地朝他一瞥,然后巫女就突然消失了。然后登山运动员终于下山了。登山运动员回想时说道:有的人听到这件事,他们说“这个巫女肯定是想帮助你,所以才出现的!”不过我觉得不一定。因为那个山难度比较高,死掉的登山的人很多。而且,我觉得山并不是对人类亲切的存在。所以她出现的真正的意思我也其实不知道的。

  我认为日本怪谈不一定有合理的理由。有的怪谈从不可思议开始到不可思议结束。但是我认为这样有想象空间的故事,正是日本怪谈的有趣之处。

 

参考資料 お風呂上がりに見るべし! 業界人が語る、恐怖体験 レギュラー番組への道「業界怪談」 |NHK_PR|NHKオンライン

2年の留学がたった半年になった、留学生の話

お題「#この1年の変化

 コロナが起こり、留学先の中国へ帰れなくなった。

 元々大学卒業後2年働いたが、それも留学に向けての資金集め兼ビザ取得(中国の就労ビザであるZビザは2年以上の就労経験がマスト、卒業後も中国で働きたい場合の為)のためだった。

 晴れて2年の就労を終え、中国の大学院に進学した半年後、コロナ直撃。その頃は中国にいたが、苦渋の決断で帰国を選択した。理由は卒論で、元々現地調査を予定していたが、この状況ではたぶん行えないと判断したので、日本語で書かれた書籍による文献研究に切り替えたためだった。これならば、現地調査を行わなくて済む。

 家で黙々とアマゾンで古書を物色する日々。わたしは日本の学生じゃないので、大学の図書館は入れてもらうことはできず、市立図書館では専門性が高いせいか、本がない。アマゾンで探すか、国会国立図書館から取り寄せるなどをして研究していった。

 そのうち、日本の大学なども始まり、ますます世の中から置いてきぼりを食らったように感じていった。自分よりつらい状況の人はいる、海外留学半年でもできたんだから贅沢だったんだ、そう思うようにしていたけれど、念願だった2年の留学が半年になり、さらに今年7月の卒業式にすら出れないかもしれない…そう考えると後ろ向きになることも正直ある。

 そんな中、コロナになり、外出もままならない状況になり、本をたくさん読むようになった。サブスクでアニメやドラマ、映画を貪るように見て、音楽を吸いつくように聞きまくった。兄に恋しちゃう女の子の話も、殺人鬼の残酷な話も、戦争でぼろぼろになりながらも生きていく話も、今からそいつを殴りに行く歌も、甘い不倫の歌も、普段より目から耳から入ってきた。

 そして何か運命的な劇薬作品にであった訳でもないのだが、徐々に思うようになった。この先も思わぬ出来事、ままならぬ出来事が起こるだろうけど、それでもこうやって日々を楽しめるように生きていくこと。そうすれば、この先もきっと乗り越えていけそうだ。

 そして考えることをやめないこと。悪い状況はできなくても当然となる。卒業できなくても、就職できなくても、みんなコロナのせいにできた。だからできない人にとって実は優しい世界なのだ。でも、それでいいのか。だから考えをやめたらいけない。それは自分の為なんだ。わたしは今オンラインを使い、中国人の友達とランゲージエクスチェンジ(言語交換、お互いの言語を教え合う勉強方法)や自分で貯めたお金を使い、英会話をイギリス人の先生と勉強している。半年後、外国語を二つマスターしてやるんだ。たとえ国と国が分断されようと、わたしは負けないぞ。コロナを言い訳なんてしたくないんだ。

 この楽しむことと考えることをゆっくりと鍛えていった一年だった。

 わたしは思う。こんな年だって、ちゃんと吸収していったんだぜって。

 

短歌

「短歌」(日本語版)

 わたしは今日古本屋へ行き3冊の本を買った。そのうちの1冊は小説ではなく、短歌集だった。短歌とは何か?短歌というのは5・7・5・7・7という日本語の音節で構成された歌のことである。見たところ「俳句」によく似ているが、短歌と俳句では異なる箇所が2か所ある。まず一つ目が音節の数で、俳句は5・7・5、つまり俳句は短歌と比べて14音足りない。その次が季語だ。季語はその季節を表す名詞のことだ。例えば、雪は冬を表す季語で、蝶ならば春、冷蔵庫なら夏を表す季語となる。雪のように直接的な季語もあれば、冷蔵庫のように間接的な季語もある。俳句については、季語は必要不可欠であり、もし季語がなければ俳句はたちまち川柳になってしまい、俳句ではなくなるのだ。短歌の場合は季語は必要ではなく、また季語を付けても問題はない。季語の規定がなく、短歌の音も少し多いことから、比較的自由なスタイルで詠む(よむ)ことができる。
 この短歌集は「サラダ記念日(俵万智著)」といい、1989年に出版されたものだ。その時代、日本ではバブル経済が起こり、狂乱の時代を迎えていた。そうした中で、サラダ記念日の作風はとても素朴で、普通の人の恋愛心情をよく表していた。
 例えば、
 「また電話しろよ」「待ってろ」いつもいつも命令形で愛を言う君
 そのボーイフレンドは一見するとぶっきらぼうだが、実はとってもガールフレンドのことがすきなのだ。わたしの高校生の教え子と一緒にこの短歌を読んだ時、乙女ゲーム(たくさんのイケメンに求愛される恋愛ゲーム)のイケメンたちはいつもこんなこと言ってるよ、と言っていた。
 わたしの妹は以前わたしに言った。
「短歌は短い、だから情報として抜けてる部分も多い。だけどその抜けた部分についてはわたしたちが想像してもいい箇所なんだ。自分の好きなように短歌の物語を創造できる。だから、たとえ同じ短歌であっても、読む時々によって印象が変わる。短歌って”終わらない物語”なんだよね」
 わたしは最近比較的に時間があるので、本を読むことに没頭している。

 

《短歌》中文版

  我今天去二手书店买了三本书。其中,有一本书不是小说,而是短歌集。短歌是什么呢?短歌是由五·七·五·七·七个日语音节组成的诗歌。看起来和“俳句”有点相似,不过短歌与俳句有两个不同的地方。首先是音节的数量,俳句是五·七·五,所以俳句和短歌相比差了十四个音节。其次是季语。季语是指由表现季节的名词。比如,雪是表达冬天意思的季语、蝴蝶是春天的季语、冰箱是夏天的季语等等。别说雪那样的直接的季语连冰箱这样的间接的季语也有。对俳句来说,季语是不可或缺的,如果没有季语的话,俳句就变成了“川柳”,而不是俳句了。短歌不需要加季语,但是也可以添加季语。因为没有了季语的规定,短歌的数量较多,风格也比较自由。
  这本短歌集——沙拉达纪念日是1989年出版的。那个时代日本出现泡沫经济,陷入了疯狂。不过,沙拉达纪念日里面的叙事风格比较朴素,表现出了一般人恋爱的心情。
  比如,
「また電話しろよ」「待ってろ」いつもいつも命令形で愛を言う君
(“要再给我打电话”“等一会儿”总是用命令口来表达爱意的你)。
  虽然主人公的男朋看起来很淡漠,但是其实很爱女朋友。我跟我的年高中的学生一起看这首短歌的时候,好像乙女游戏(很多帅哥向你求爱的恋爱游戏)里的帅哥总是说这样的话”。
  我妹妹以前告诉我说,“短歌很短,所以里面的信息一定有缺失。但是有缺失的地方,我们可以随便补充、天马行空也想象短歌的故事。所以,我每次看短歌的时候,都有不一样的感受,应该说每首短歌都是一段不会结束的故事”。

  我最近比较有时间,所以在埋头看书。